「世界三大美女」という言葉は、世界中の様々な文化や歴史の中で耳にしますが、その起源については明確な答えは存在しません。
日本ではクレオパトラ、楊貴妃、小野小町の3人が「世界三大美女」とされていますが、他の地域では全く異なる名前が挙げられます。
この記事では、「世界三大美女」の観念がどのように生まれ、どのような歴史的背景があるのかについてご紹介します。
世界各地で異なる美の基準
「世界三大美女」と称される人物が、国や文化の違いを越えて広く認められる理由は何でしょうか。
美の基準は地域や時代、文化によって大きな違いがあります。
例えば、中世ヨーロッパでは白い肌が美の象徴とされましたが、現在では健康的な肌色が好まれることが多いようです。
では、クレオパトラやヘレネー、楊貴妃のように、時代や文化を超えて賞賛される美女たちの魅力とは何でしょうか。
それは、彼女たちが最高の美女として認められ、その生涯やエピソードが多くの文学作品や伝説として語られてきたからかもしれません。
古代ギリシャの美女ヘレネー
ヘレネーはギリシャ神話の登場人物ですが、世界的には三大美女といえば、ヘレネー、クレオパトラ、楊貴妃というように、美女の筆頭に挙げられます。
古代ギリシャ文化において、ヘレネーの美しさは特筆されるもので、トロイ戦争は、ヘレネーを巡る争いが発端となったとされているほどです。
ヘレネーの美しさは、詩や文献などで広く称賛されており、その魅力は単なる外見だけでなく、彼女の知性、教養、そして高い品格にも由来しています。
ヘレネーの美しさが称賛されるのは、当時のギリシャの価値観や文化を反映しているからともいえます。
現代の世界三大美女は?
現代において、国際的に活躍する女優やモデル、また音楽やエンターテインメントの世界でアイコンとなっている女性たちは、その才能や実績とともに、世界中から称賛されています。
このように、古代から現代にかけて、美の基準は絶えず進化し続けています。
そのため、「世界三大美女」と認識される人物を選ぶのは、各国や文化が持つ多様な美の基準や価値観の違いから、容易なことではありません。
ここでは、現代の世界三大美女を簡単にご紹介します。
クレオパトラ
クレオパトラは、古代エジプトプトレマイオス朝の最後の女王(紀元前69年~紀元前30年)で、
ローマ帝国の軍人ユリウス・カエサルやマルクス・アントニウスとのロマンスで知られています。
ただ、このロマンスにはクレオパトラの女王として復権と、プトレマイオス朝の存続のための政治的動機があったとされています。
最後は、コブラに乳房を噛ませて自害したと伝えられています。
なお、クレオパトラは絶世の美女とされていますが、当時の史料が残っていないため真実は不明です。
楊貴妃
楊貴妃(719~756年)の楊は姓であり、そして貴妃は皇妃としての順位を表す称号です。
楊貴妃は、唐の玄宗皇帝の妃で、「傾国の美女」として知られていますが、玄宗皇帝が楊貴妃を寵愛し政治を疎かにしたため、唐は滅亡します。
そのきっかけが、楊貴妃のお気に入りだった安禄山が起こしたクーデターであったため、楊貴妃はこの混乱の責任を追及され殺害されます。
当時の中国の美女の基準は「豊満」とされており、楊貴妃もまた豊満な女性だったようです。
小野小町
平安時代の女流歌人で、生年や没年など不明です。
小野小町は、絶世の美女とされていますが、本当に美人であったかどうかは定かではありません。
平安時代の物語の主人公が、偶然にも「小町」という美貌の持ち主であったことから、小野小町が美人だったというイメージができあがったという説があります。
また、世界三大美女という言葉が初めて登場した明治時代は、国粋主義の高まりとともに、小野小町は古典的文化人の理想とされました。
世界三大美女の選出基準
「世界三大美女」という称号にはどのような歴史的、文化的な基準が存在するのでしょうか。
世界三大美女を選ぶ際の基準や思想についてご紹介します。
美に対する価値観の違い
美の基準は、地域や文化によって大きく異なります。
特に西洋と東洋では、美に対する価値観が大きく異なることがあります。
西洋では均整の取れた体形や明確な顔立ちを美の象徴とする傾向にありますが、東洋では、内面の美しさや気品、その人の持つオーラがより重視されます。
中国の楊貴妃や日本の小野小町がその代表例です。
この違いは、中国の楊貴妃や日本の小野小町など、外見だけでなく、その人としての魅力に焦点を当てているためです。
美の基準の変遷
美の評価は時代を通じて変わり続けています。
「世界三大美女」の観念も、時代ごとの文化的変化に伴いさまざまなに解釈されています。
たとえば、古代エジプトではクレオパトラのような女性が美の象徴とされましたが、彼女の美は政治に対する大きな影響力となっていました。
古代ギリシャでは、ヘレネーやアフロディーテのような神話の人物や実在の人物が美の理想とされ、その美の基準は均整の取れた体形やはっきりとした顔立ちが重視されました。
中世ヨーロッパでは、純潔や宗教的な美徳が重視され、白い肌や豊かな髪が美の象徴とされました。
ルネサンス時代には、自然な美しさや健康が重視され、自然な体形や健康的な肌が評価されるようになりました。
19世紀と20世紀には、映画やファッション業界が特定の女優やモデルを美の象徴としました。
近年では、メディアやSNSの影響で美の基準がさらに多様化していますが、同時に地域ごとの伝統的な美の基準も依然として重視されています。
このように美の基準は、社会や技術の進化に伴い進化しており、時代や文化に応じて異なる美の価値観が生まれています。
まとめ
ここまで「世界三大美女」にまつわる美の基準についてご紹介しました。
美の基準は、西洋と東洋など地域や文化によって異なり、常に時代とともに変化しています。
これからも美の基準は変化し続け、ますます多様な美の価値観が生まれていくでしょう。